昭和41年06月29日 夜の御理解



 今日、熊本の高瀬さんが、お参りして参りました。色々な話の中に、上熊本教会の御信者でございますからあちらの谷口先生が寄られましてから後に先生後任の先生が決まってなかった。それで今度あちらの親教会の熊本の教会の親御さんにもあたられる、それからあの、高橋富枝先生ですね、西六の明神様ともうしあげた、高橋富枝先生の曾孫にあたられる方らしいですね。
 その方が、今度、上熊本を正式に教会長として決まられた。それについて色んな問題もあってからでしょうが、御本部から金光真整様が見えられた。金光真整先生ですね。皆さんご存知でしょうかね、ご本部参拝を致しますと三代金光様のご時代に必ずお手を引いておられた方です。あの方が金光様の一番のお気に入りだったと思うておりましたですよね。背の低いめがねをかけた先生です。
 金光様の何番目かの弟にあたられます。あちらが非常に今度見えられた先生と心やすくて、あちらが見えられましたから、信者一同と色々と懇親会をたてたりしてから、信心のお話もまあいろいろと頂いたという話の中からでございましたが。金光真整先生が始めに仰ったことはこういうことだったそうですね。「信心とは和賀心が神に向かうのが信心というのじゃというけれども、みんなの場合は、信心とは和賀心がおかげに向いておるからおかげにならんとおっしゃる。」
 信心とは、和賀心が神に向かうというのが、信心というのじゃというのに。皆のは、神様に向かわずに、おかげのほうにばかり向いておるから、本当のおかげにならんと。一言でお話が決まるようですね。信心とは、和賀心が神に向かうのを信心というのじゃと。そこん所を私は、和賀心が神様に近づいていくのが、信心じゃというふうにもうしますけれども、神様に向かって進んで行くという事は、おかげ目当てでは、神様に向かっていくはずがありませんよね。金
 光様が仰っておられるように、和賀心が神に向かうのではなくてお蔭にむいておる。それを一言で聞かせて頂いてから素晴らしい事だなと。教祖の神様はそういう深いご真意をもって、御教えを下さっておるのだと。そこでその皆さん自分の信心を思うてみなければなりませんよね。成程信心とは和賀心が神様に向かうのを信心というのじゃが私の心は果たしてどうじゃろうか和賀心がおかげにおかげを頂かねばならんから。
 お願いをせんならんから、こればお伺いせんならんからというて、椛目参りとするならば、あなたの信心は神に向かっていないと。おかげに向かっておるのだと言う事。それではしかし、何十年、例えばみかけは良い信心であっても、これでは心が神に向こうていくということにはならない。いわゆる和賀心が一歩一歩神様に近づいていくということにはならない。ということをわからなければならないと思いますね。
   どうぞ。